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明治の偉人ゆかりの地・廣瀬神社と岡城跡【大分県・竹田市】

城下町路地

岡藩の城下町であった大分県竹田市は歴史小説「坂の上の雲」に登場する廣瀬武夫中佐や西洋音楽の作曲家滝廉太郎といった明治に活躍した偉人が住んでいた地としても知られています。
周囲を山で囲まれており、トンネルを通らなければ入ることができない立地も特徴です。

廣瀬神社まで歩きます

「歴史の道」と呼ばれている武家屋敷通りを散策しながら廣瀬神社へ向かいます。
風情のある漆喰壁の家が連なる通りの脇には用水路が流れていました。
「水の郷100選」に選ばれるほど市内は湧水が豊富とのことです。

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廣瀬神社

廣瀬神社
廣瀬神社・門

廣瀬神社は1935年に創建されました。
日露戦争の旅順口閉鎖において戦死した廣瀬武夫を祀っています。優しい人柄で上司・部下共に信頼が厚く数々のエピソードが残されています。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」がドラマ化され放送された後は女性の参拝者も増えたと教えていただきました。

東郷平八郎による扁額

拝殿の上部に「忠勇義烈」と記された扁額が掲げられていました。
忠勇義烈とは「忠義の心に厚く、正義感も強いこと」。
日露戦争での連合艦隊司令長官として指揮を執った東郷平八郎筆の扁額です。

戦艦朝日のカッター

1937年に海軍から奉献された戦艦朝日のカッター。

慰霊碑

明治以降の竹田地域の戦没者を記した慰霊碑
台座の茶色の石は旅順港作戦時に使用された石です。

竹田の街並み

境内にある展望スペースから静かな竹田の街並みを一望できました。
右奥には九重連山が見えます。

廣瀬武夫記念館

神社内には記念館があり、廣瀬武夫がロシア駐在時代使用していた愛用品や資料などが展示されています。

広瀬武夫の愛刀
姪に送ったとされる切手帳

ロシアで集めた古切手を張り合わせた帳面。可愛がっていた姪に送ったとのことでした。

岡城跡

岡城跡

国指定史跡に制定されている岡城に訪れました。廣瀬神社から車で5~10分ほどで着きます。

岡城跡案内板

岡城は1185年に築城されたと伝えられています。
明治以降廃城となり建造物は取り壊されていますが堅固な石垣が現在も残されています。広さは約100万平方メートルとかなり広大です。

大手門までの石段

岡城の入り口の大手門までは長い坂を上っていきます。
海抜325mの高台に建てられた岡城は周囲が断崖絶壁なことと堅牢な石垣から難攻不落の堅城と言われていました。
城の防御施設でもある大手門は櫓や礎石・車敷が現在も残っています。

色づき始めたモミジ

10月中旬とあって僅かですが紅葉が始まっていました。
紅葉シーズンの11月中旬~11月下旬には見事なモミジ並木の紅葉が見られるそうです。

大手門・車敷
大手門跡

車敷の後がはっきりと残っていて門がとても大きかったことを表しています。

滝廉太郎像

城内二の丸には滝廉太郎の銅像がありました。

朝倉文夫作

滝廉太郎と小学校の同窓であった彫刻家・朝倉文夫作とのことです。
荒城の月」は滝廉太郎が岡城から構想をイメージして作曲したというエピソードも知られています。

眼下には流れる川や田園が見えます
本丸からの景色

本丸から山々を眺めることができました。こちらも奥の方に九重連山が見えます。
広大な自然が広がっていて清々しい気持ちになれました。

岡城天満神社

本丸の奥に神社がひっそりと佇んでいました。
2016年に再建された岡城天満神社です。
神社左側には「荒城の月」の詩が彫られた石碑がありました。

まとめ

周りを山に囲まれた竹田市は趣のある静かな街並みを楽しむことができました。
特に城下町エリアは上記以外にも「滝廉太郎記念館」や「隠れキリシタン礼拝堂跡」「竹田壮」など歴史的建造物が多く残っています。
1日かけてゆっくり散策したいおすすめのスポットです。

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